2021年5月13日

●たいへん辛い労働が6月も継続することになったので大変に辛い。まあお金を稼げるのはありがたいのだが自分的には体力的にきつい。最近、どうも体力がどんどんなくなってる。少し歩いただけで疲れるし、息もすぐにあがってしまう。もう歳なのだろう。

●今日は休みだったが何もする気力が起きず、本を読んで、時折ネットをみて、ああやってるなとありがちな感嘆を得つつ、PCからうっすらと音楽を流していた。あと原稿を書いた。

●流していたのはAndy Stott『Never The Right Time』で、前の日記にも書いたけどあまり昔からのファンには評判のよろしくない新作で、でも自分はどこか気に入っていて繰り返し聴いてしまう。ノスタルジアが音のカーテンのように揺れているような音楽・サウンドというべきか。どこか記憶のむこうの甘い紅茶を飲むような感じ。自分としては彼の本質は意外とこういうところにあるのではないかと思っていて、その意味で彼の原点に遡行するような音楽性なのかなと思ってみたりもする。Cocteau Twins的というのも分かるのだけど80年代的なささくれ立った性急さが音に希薄で、サイケデリックとでもいうような音の揺らぎに満ちているので端的に聴きやすくはある。まあそれはそれとして…。

キットラーの待望の翻訳『書き取りシステム1800・1900』が刊行されて9000円もするのに頑張って購入したのだが読む気力が起きず、なぜか『ドラキュラの遺言』を繰り返し読んでいる。キットラーはメディア論の思想家だけど自分にはSFを読むように読んでしまう。

●あとハキム・ベイの『T.A.Z.―一時的自律ゾーン』とトマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を読みなおしている。

●最近は本の読み方を再会得しような感がある。今はとにかくスピードをつけて読むことに専念している。わかろうがわかるまいが、理解していようは理解していなかろうがとにかく一定の速度でどんどん頁を進むのだ。映画だって観客がわかろうがわかるまいがどんどん進んでいくものである。ゴダールの映画のように。そして一回観て分からないから、だからもう一回観る。本も同じでとにかく一回は読み飛ばすような速度でガンガン読む。そしてまた冒頭から同じ速度で読む。これを繰り返す。映画的速度の読書。