「真冬と宇宙」第三回(不定期連載)

●真冬の星空を見上げるように極冬のもとに降り注ぐ光は、まるで音のない音響のように、われわれの知覚に清冽な感覚を、生命の厳しさと共に与えてくれる。

フィンランド電子音楽家ミカ・ヴァイニオが「Ø」名義でリリースしたアルバムには、彼の少年時代のノスタルジアを濃厚に反映した音響空間が生みだされていた。長く続く永遠のごとき冬、夜の空。少年時代の彼はその星空から何を得たのだろうか。

●Ø名義で2014年にリリースした『Konstellaatio』にはそんな彼の少年時代の写真がアートワークにあしらわれているが、そのサウンドもまたフィンランドの星空のような冷たく清冽な電子音響である。私はこのアルバムをミカ・ヴァイニオの最高傑作と考える。『Konstellaatio』には真冬の星空にまつわる濃厚なノスタルジアと思索が横溢しているからである。電子的音響による真冬への遡行。ここではノイズも電子音も記憶の欠片と層の中に、光のように瞬いている。聴き手はその光の点滅に導かれるように、真冬の星空を見上げるかのごとき音響を聴取することになる……。

Konstellaatio

Konstellaatio

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 ●真冬の電子音響・エレクトロニカといえばフェネスが〈touch〉からリリースした一連のアルバムだ。特に2004年の『ヴェニス』と2008年の『ブラック・シー』には、彼の真冬への思考/志向が全面的に展開されている。

Venice

Venice

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Black Sea

Black Sea

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 ●ミカ・ヴァイニオの「冬」が「垂直的」とすれば、フェネスの「冬」は「水平的」である(加えてフェネスの「夏」はグリッチ的である。記憶の内的破壊)。それは海岸線のような感覚とでもいうべきだろうか。フェネスには「海」の感覚が濃厚なのだ。「海」の向こうにある「冬」。冬の、海外線の、ロマンティシズム。彼の音響にはノイズによってかき消されそうになる濃厚なロマンティシズムがあるのだ。電子音響ロマン派。

●そう、フェネスの音はまるでマーラーアダージョのように真冬の、黄昏の、ロマンティシズムが横溢している。その彼の冬/ロマン主義の結晶とでもいうべき作品が、マーラーの楽曲を「リミックス」したこのアルバムだ。この黄昏の電子音響が発する深いノスタルジアに私の感覚は深く、強く魅了される。西洋音楽の終わり。その「終わり」の響きを、こうまでロマンティックに結晶させたようなサウンドは、ほかにない。

Mahler Remix

Mahler Remix

  • アーティスト:Fennesz
  • Commmons
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 ●それにしても、もしもアドルノが生きていたらフェネスの音楽をどう評価したのだろうか。いやこれは愚門だ。このような音楽をアドルノは一切認めないはずである。むしろ西欧音楽の残骸をただ再利用しただけの唾棄すべき音楽とまで言ってしまうかもしれない。

●彼のテキストは時にそのような激しい否定性を発する。それはアドルノが「西洋の歴史側」に位置する知性だからか。だが、私のような「すべての歴史が終わった」後を生きるような人間であってもアドルノに強く惹かれてしまう。なぜだろうか。それはアドルノが常に「歴史の終わり」、つまりは資本主義・消費社会的な世界を「否定性」を持って生きて、見続け、思考し続けたからだろう。

 ●私は考える。もしも21世紀のアドルノが存在していたら、ミカとフェネスの音楽にロマン主義の真の終焉と微かな、ギリギリの蘇生を感じ取るのではないか、と。電子音響/エレクトロニカには、クラシックな伝統から大きく切り離された音のテクスチャーには、西欧的な感性の奥深くにあるノスタルジアの起源のようものが微かに息づいている。

●歴史の終わり。黄昏のロマンティズム。フェネスのフラジャイルなノイズ。ロマンの、最後の、残滓、欠片。歴史の終焉……。ノスタルジア……。失われた未来へ……。この場所で21世紀が始まった。アワー・ミュージック/ノートル・ムジークはいかにして可能になるのだろうか……。